印鑑職人の寡黙な背中

私は手彫り印鑑職人・秀碩の不肖の息子です。

父は印鑑彫刻一筋に生きてきた、文字通りの職人です。
私が子どもの頃の父の思い出といえば、朝から晩まで印鑑を彫る、その後ろ姿だけ。
遊んでもらった記憶は、ほとんどありません。

あれは確か、霞ヶ関ビルができて間もない頃でした。
日本初の超高層ビルということで、人気を集めていました。
あるとき、次の日曜日に連れて行ってくれるということになって、何日も前からとても楽しみにしていましたが、当日になって、急ぎの仕事が入ったからと 取りやめになったことがありました。

悲しくて悔しくて、一日中泣いていたのを覚えています。
そんな時、「ごめんね、今度必ず連れて行ってあげるから」 と必死に私をなだめる母を尻目に、父は一言、それも背中を向けたまま

「悪い!」

そう言ったきり、あとはずっと印鑑彫刻の仕事に没頭していました。

子供心に「はんこ屋になんか、絶対になるものか」 と固く心に誓った私でしたが、気がつくと、もう41歳、印鑑業界に入って21年目を迎えます。
もっとも、父の技術には及ぶべくもないことは初めから承知の上、企画・営業・販売の部門で、私なりに店を支えてきたつもりです。

しかし、もはや決してそうは長くない、父の印鑑職人としての仕事と足跡を、彼が現役でいるうちに、一人でも多くの方にお知りおきいただくことは、商売抜きで父への恩返しでもあり、また、私自身にとっての、ここまでの総決算でもあると考え、素人なりに、なんとかこのWebサイトを製作しました。

「いまどき珍しい、愚直なまでに頑固な職人がいたものだ」 と、たとえ一時でも、お心の片隅に留まれば、それでもう、十分に幸せです。

お忙しいなか、当サイトにお越しいただき、また、拙いページの数々にお付き合いくださいましたこと、厚く御礼申し上げますとともに、 あなた様、およびご家族、ご友人皆々様方の、今後ますますのご健康、ご多幸、ご発展、ご安泰を、父・秀碩ともども、心よりお祈り申し上げます。

ありがとうございます。

1962年端午の節句に父秀碩と

昭和37年(1962)端午の節句に父・秀碩と

2000年11月
Webサイト製作・管理責任者/松崎 文一


■2013年3月 追記:

父・秀碩は平成25年3月8日午前5時45分、誰に看取られることもなく、たった一人で静かにこの世を去りました。
享年81歳でした。

あれは確か亡くなる2週間ほど前、2月中旬のある日の夕方のこと。
病室に見舞いに訪れると、父はベッドに横たわったまま、私が来たのにも気づかず、天井の一点を指差し、じっと見つめていました。

何をしているのかと、声をかけようとしたその時…
父の右手人差し指が、天井を指差したまま、ゆっくりと、しかし滑らかに、動き出しました。

ふと天井を見上げると、そこには一辺が50cmほどの正方形のマス目模様が広がっています。
父はマス目を印面に見立て、そこに文字を書いているようです。
もしかするとそれは、入院直前まで書いていた注文の印稿の続きかもしれません。

そんな父の姿を、しばし呆然と見つめていましたが、父は文字を書くのに夢中で、私に気づく様子は一向にありません。

「最後の作品」製作の邪魔をしてはいけないと思い、声をかけるこもとなく、私はそっと病室を抜け出しました。

そう言えば、いつか父が語っていたのを思い出します。

「死ぬのは少しも怖くないが、仕事ができなくなるのが恐ろしい」

印鑑彫刻一筋に生き、病床にあっても現役を貫いた…

…いや、というよりも、

「ただただ、ハンコを彫ることが好きでたまらない、ひとりの職人」として、その道をまっとうできたのだから、幸せな人生と言えるでしょう。

最後までカッコ良かったよ親父。

秀碩、80歳のストライク!
-平成24年(2012)4月7日 品川プリンスホテル ボウリングセンターにて-