職人から職人へ

■秀碩の願い

私はこのたび、引退のやむなきに至りました。

この「秀碩の工房」ホームページにより、全国の皆様からご注文を頂戴し、おかげさまで晩年に至って大きな花を咲かせることができ、 印鑑彫刻職人として実に恵まれた、幸せな生涯を送ることができました。
これもひとえにホームページから、あるいは実店舗にご来店くださり、ご注文いただいたお客様方のご愛顧のおかげと、厚く御礼申し上げます。

しかしそれでも、心残りがございます。

つい最近も、ご結婚を機にご注文いただいた若い女性のお客様に、「やがて子供が生まれたら、ぜひその子の銀行印を彫ってください」と ありがたいお声をいただきました。

同じように、かつてご注文いただいた多くのお客様方から

「二番目の子を授かった際はぜひ」
「今度は家族の分も」
「来年、会社を設立する予定なのでその際に」
「長男が社会人になったら」
「娘が結婚するときに」
「今中学生の姪が20歳になったら」

など、数え上げればきりがないほど「次回もぜひ」というご予約を承りました。
私としても、なんとしてでもそのご期待にお応えしたい-そう思い続けてまいりました。

しかし現在の体力と健康状態をもってすると、残念ながら、その願いは叶えられそうにありません。

私自身、81歳の今日まで来たからには、これから先も生涯現役を貫くつもりでおりましたので、今ここで印刀を置かざるを得ない宿命を前に、悔しい思いでいっぱいです。

しかし、それならせめて、私の作風を遺し、伝えたい。

これは老いた職人の単なる独りよがりかもしれません。
それでも、私が彫った印章をご愛用いただいたお客様方の「次の機会にもぜひ」というご期待に、ほんの少しでもお応えでき、お役に立てるのなら、 私が最も信頼を寄せる気鋭の職人に、後を託す価値があるのではないか。

そう考えたとき、真っ先にある人物が思い浮かびました。
その流麗かつ繊細な彫刻技術は誰もが認める、当代一流の印鑑彫刻職人・永田 皐月氏です。

去年12月、わざわざ遠く岐阜県から見舞いにきてくれた永田氏に、思い切って「私の作風を受け継いでくれないか」と切り出すと、突然のことでもあり、彼は最初こそ「荷が重い」と固辞しました。

やがて私の思いを理解してくれた彼は「先生にご恩返しができ、私自身の勉強にもなるなら、喜んでやらせていただきます」そう快諾してくれました。

私はうれしさのあまり、思わず永田氏の手を強く握り締めました。

早速私は今日までの作品印影と印稿、加えて長年にわたって集めた印章に関する蔵書のほとんどを永田氏に譲りました。
永田氏も自分の店の仕事の合間を縫って私の作風の習作に没頭してくれました。
(註:ご注文の記録などお客様の個人情報はもちろん当店にて厳重に保管しておりますのでご安心ください)

客観的に見れば、繊細な彫刻技術という点では、少なくともここ数年の私より、今の永田氏の方が上でしょう、認めるのは少々口惜しいことですが(苦笑)。

ですから、習作といっても、師匠の技術を教え子が習得するという意味ではありません。
作品から滲み出る私なりの個性や製作意図を、永田氏が吸収して彼自身のものとする、いわば

「プロの職人からプロの職人の継承」

そう申せましょう。

その成果がこちらです。

松崎秀碩と永田皐月、印鑑の作風比較

いかがでしょうか?
実のところ、私が見ても惚れ惚れとするような、永田氏ならではの流麗にして繊細な作品群です。
ここまで素晴しい仕事なら、私も安心して彼に後を託すことができます。

以前ご注文いただいたことのあるお客様に限らず、初めてご注文いただくお客様にも、きっとご満足いただける「秀碩風の印章」であると、文字通り、胸を張って太鼓判を押して、老兵は静かに消え行こうと思います。

今までのお客様、多くのご注文をいただき、誠にありがとうございました。
新しいお客様、直接ご縁を結べず残念に、また申しわけなく思います。

しかし、私の作風と印鑑彫刻にかける思いは、間違いなく次代に受け継がれます。

永田 皐月氏の作風がお気に召しましたら「秀碩の工房」を引き続きご愛顧のほど、心よりお願い申し上げます。

ありがとうございました。

平成25年(2013)1月 病床にて
松崎 秀碩

秀碩はこの後、同年3月8日に永眠いたしました。
生前に頂戴いたしましたご厚誼に心より御礼申し上げます。


■永田 皐月の決意

私は18歳で岐阜県内の高校を卒業後、東京のハンコ屋で5年間修業しました。

毎月1回日曜日には東京印章協同組合技術講習会に通い、印鑑彫刻の初歩である印刀(印鑑専用の彫刻刀)の研ぎ方から、字入れ・荒彫り・仕上げに至るまで、 5年の長きに渡って講師の松崎先生に教えていただきました。
もう今から30年も前のことです。

「決して手を抜かず、常に最善を尽くし、お客様にご満足いただける印章を」

これが松崎先生の口癖でした。

あれは5年間の講習を経て講習会卒業式を終えた、その夜の謝恩パーティーでのことです。
ポツンと一人で座っている私を見かけた先生は、空いていた隣りの席に腰掛け、優しく、しかし熱意に溢れる口調で、話しかけてくださいました。

1985年、松崎秀碩と永田皐月のツーショット

「せっかく身につけた彫刻技術も、お客様におわかりいただけないことが多いかもしれない。
でもね、そんなときでも腐らずに、できる限り丁寧で繊細な仕事を心がけてください。
そうでないと職人としての進歩も成長も止まってしまいますから。
真面目で誠実な仕事を続けていれば、いつかきっと陽の当たるときが来ますよ」

恥ずかしい話、当時23歳の私には先生の言葉の意味が理解できませんでしたが、その後30年間、あの日の松崎先生の言葉を糧に、私なりに精進してきたつもりです。

そして昨年12月、松崎先生初めての個展(二人展)を拝見しに上京しましたが、肝心の先生のお姿が見当たりません。

すると会場の片隅に、体調を崩されて来場できない旨の告知がありました。 それを読んで呆然としていると、先生のご子息に「父が話したいことがあるそうなので、病院までご同行いただけませんか?」と声をかけられました。

その足で、とある病院に入院中の松崎先生をお見舞いしたところ、先生から、思ってもみなかった相談を持ちかけられました。

「ぼくはもう現役復帰はできないと思う。
ここまでの自分自身の人生には悔いはないが、『次回も注文したい』とおっしゃってくださったお客様のご期待に沿えないのはなんとも残念だし、申しわけない。
だからせめてぼくの作風だけも誰かに受け継いでもらえないかと考えたとき、あなたの顔が真っ先に思い浮かんだ、なんとかお引き受け願えないだろうか」

ご指名は光栄ですが、いくらなんでもそれは私には荷が重すぎます。

そう答えた私ですが、先生の次の一言に、強く背中を押されました。

「永田くん、あなただけが頼りだ」

あの松崎先生にそこまでおっしゃっていただいて、不覚にも思わず感極まってしまいました。

喜んでやらせていただきます、と震える声でお答えし、握手をして病室を出る私の背中に、 先生が投げかけてくださった言葉は、一瞬、私を30年前の講習生当時に引き戻しました。

「常にできる限り丁寧で繊細な仕事を、ね」

東京から帰宅して数日後に、先生からこれまでの膨大な作品印影と印稿が届けられ、比較的手も空いていたので、資料を参考に早速見本製作に取りかかりました。

30年ぶりに接する松崎先生の作風に、最初のうちこそ若干の戸惑いはあったものの、何本か彫り進めていくうち、印面全体の整合性を何より重要視する先生の製作意図が、まるで霧が晴れるかのようにはっきり見えてきて、それから一気に理解が深まりました。

こうなってくると面白い。 印鑑彫刻が楽しくてたまらない、こんな気持ちはそれこそ30年ぶりでしょうか。
夢中のあまり正月も返上して、まるで山ごもりのような状態でひたすら彫り続けました。
こんな充実した時間を持てたのは、近年では記憶にないほどです。

そうして2月末に最終的に納得のいく見本作品のいくつかが彫り上がりました。
早速お送りすると、すぐに松崎先生からお電話をいただきました。

「言うことなしです。この調子でお願いします」

まだまだ最初の一歩ですが、重責のほんの一端でも果たせたような気がして、請け負った立場としてはホッと一息つけました。

それ以上に、電話越しの松崎先生のお声が、12月に病室でお目にかかったときより、心なしか弾むように明るく感じられました。
これで少しはご安心いただけたかと思うと、嬉しいと同時に改めて身の引き締まる思いです。

しかしその後、3月に入ると病状が悪化したようで、8日朝、松崎先生はついに帰らぬ人となられました。

訃報に接してから1週間ほどは、悲しみのあまりまったく仕事も手につきませんでしたが、「先生にご恩返しをするのはこれからだ!」と、懸命に自らを励まして再び印刀を手に取り、先生が彫刻している後ろ姿を思い、目頭を熱くしながら続きの見本作品製作に励みました。

65年以上にもわたって印鑑彫刻一筋に歩んで来られた松崎先生に対して、私はまだほんの30年と少々です。
技術はもちろん、印章ついての造詣や職人としての矜持においても、先生の足元にはまだまだ到底及びません。

それを承知の上で、先生の温かい励ましのお言葉に甘えて、その作風を、私なりに継承・再現して参ります。

かつてご注文いただいたお客様にも、新たにご注文いただくお客様にも、ご満足・お喜びいただけるよう、最善を尽くすことをお誓い申し上げます。

松崎先生の作品と並べていただくこと自体、大いに恐縮するばかりですが、納得いただいた上でご注文いただければ幸いです。

なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

平成25年(2013)岐阜県各務原市にて
永田 皐月

【プロフィール】
■昭和36年12月 岐阜県出身。
■高校卒業後、東京の名門印章店にて5年間修業。
東京印章協同組合技術講習会で5年にわたり、秀碩の教えを受ける。
■25歳のとき全日印連技術大競技会にて銀賞を受賞、その他にも受賞歴あり。
■繊細にして流麗な作風を得意とし、その美しい仕上がりには定評がある。

2002年、秀碩と永田 皐月のツーショット

平成17年(2005)4月、秀碩の写真撮影を見学に訪れた永田 皐月。
せっかくの機会だからと記念撮影。

■秀碩と永田皐月に共通する「印鑑と運勢の関係」についての考え方を読む>>